バラの世界の巨星が落ちました。
フランスのアンドレ・エヴさんです。

日本ではあまり知られていませんが、
フランスではバラの神様と言われているような偉大な方でした。
フランスでバラの育種と言えば、
メイアンやギヨ、デュシェが切磋琢磨したリヨンが有名ですが、
バルビエ兄弟やトゥルバがランブラーやポリアンサを作出し、
その後マルセル・ロビションがドレスデンやナタリーなどモダンローズを生み出す、
オルレアンもバラの育種の盛んな地でした。
そのマルセル・ロビションに師事し、バラの育種を受け継いだのががエヴさんです。
そしてオルレアンの育種家はエヴさんだけとなってしまったのです。
彼はただバラの育種をするだけでなく、
ハイブリッドティなどモダンローズ全盛の時代に、
忘れ去られてしまったオールドローズを再収集し、
現代に甦らせた収集家の側面もあります。
そしてそれらのバラをガーデンに木々や草花と一緒に見事に植え付け、
人々を魅了するガーデナーの一面もありました。
僕は一度しかお会いしていませんが、
その日あっただけで、バラや草花、ガーデンの事を数時間話しただけで、
アンドレ・エヴさんのファンとなり、この人のような人生を歩みたい…
そう、考えられないような、大きな影響を受けた方なのです。


何に対しても熱いです。
「お前このバラ知ってるか?」
「この植物はとても珍しいんだよ!」
そして、とても温かい方でした。
ガーデンでバラや植物の話をした後、
その時はこんなことに使うとは思っていなかった、なんとなく撮ったこのテーブルで、
ヨーロッパの長い夏の夜に、目が相手の顔をなんとかとらえられている時間まで、
ウィスキー片手にバラの話をしてくれました。
彼の人生の話をしてくれました。
僕にとっては永遠に忘れられない時間でした。
今でもエヴさんが目の前で 「まだ飲むだろ?」
そんな顔しながらウィスキーのキャップを回しているのが目に浮かびます。

数多くの話をしてくれた中で一番印象に残っているのは次のやりとりです。
見事なガーデンなので、時折消毒をしているのかと聞いたら、
「消毒はいっさいしない、なぜなら君は消毒漬けのガーデンで本当に癒されるか?」
「私は癒されない」
そしてバラの育種も育種を始めた時から無農薬で育種選抜をしていたらしいです。
今のバラの耐病性のトップ、ドイツのコルデスでもぜいぜい20年前、
エヴさんは50年前からそれを実行していたのです。
その当時は農薬をかけないで育種をするなんて非常識な時代です。
だからリヨンの育種家達に勝てなかった。
リヨンの育種家達は多少の耐病性の低下や樹勢の低下なら、
より華やかで見栄えの良いバラを出して、時代を追い風にして一世風靡していましたから…
でもそれがオルレアンの育種家の思い、作風なんでしょうね。
バルビエやトゥルバは消毒なんていらないバラ達を世に出していましたから。
パッと見の良さではなく、芯の強いバラを生み出す育種家が育つ地なのかもしれません。
先ほど、アンドレ・エヴさんがオルレアンの最後の育種家と書きましたが、
オルレアンのバラの育種家のバトンは、
現在アンドレ・エヴ社で育種を担当しているジェロームさんに渡されています。
下の写真で僕と一緒に写っている方です。

大手バラ育種会社で育種をしていましたが、
なかば追い出され、そんな状態の彼にバラの育種が出来る環境を与えたのがエヴさんです。
だから彼はオルレアンの育種家。
アンドレ・エヴさんの思いを受け継ぎ、オルレアンの育種家達の作風を今に受けついでいます。
近年のヨーロッパの新品種コンテストでは耐病性が大きなテーマですが、
毎年のようにゴールドメダルを受賞しているのがジェロームさんです。
僕はバラの育種を行っていますが、
バラの育種の先生はいません。
10代後半、本の巻末1ページ位の育種のページを見て育種を始めて、
その後は完全に独学でした。
でも僕はバラの育種への思いは、オルレアンの育種家達の系譜につながりたいです。
アンドレ・エヴさんのバラへの思いに惹きつけられましたから…
そしてジェロームさん。
勝手に兄弟子と思っていますので、これからもバラの育種を一緒に楽しんでください、
そして時には色々とアドバイスお願いします、
テーブルでの二人のように、
アンドレ・エヴさんのバラへの思いは僕も一緒に受け継ぎますから!
バラって最高!
柳楽さま 最高の出会いと時間をありがとうございました。
Rose Creator 木村卓功
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